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生き物の死が私の命を支える:大久保先生のコラムより

[2023.05.22]

札幌 歯周病・予防歯科、院長の山崎英彦です。

前日本歯科医師会会長の大久保先生が広報に素晴らしいコラムを書かれていましたので、ぜひ紹介したいと思います。(本文は長いので、少々割愛させていただきました)

「私は、以前から、我々歯科医師の仕事の究極の意味は最後まで食べられる人生を支えることにあると言ってきました。「食」には二つの意味があります。

一つは、「命の流れを絶たない」、つまり、一瞬一瞬の新陳代謝によって流れ消えていく身体の成分を補い、その命の流れを絶たないために食べ続けること。

二つ目は、他の生き物の死である食べ物は、我々にとって異物であり、本来ならばこの異物を我々の体が受付けられないはずなのに、それを消化、栄養できるのは、咀嚼によって食べ物の成分を姿のなくなるまで粉砕し、それを体内の消化器宮に送り、その酵素によって異物の成分を消してしまう。

それが食の意味である、と私は考えています。

この考察の基本は「動物の死が私の命に反転する」ことにあります。

まさに我々は、動物の死の上に私の生が成り立っていることを意識することなく食事を楽しむ。
これは、生き物の死が全て店頭で売られているこの社会において、自分の生もまた意識されにくくなっていることを考える大切さを示しています。

ある評論家は、「人間がなぜ少しでも立派に生きようと考えねばならないのか。それは、多くの命をもらって自分が生きている以上、そう生きようと心掛けねば、もらった命に申し訳が立たないではないか」と言っています。

最後まで食べられる人生を送ってほしいと、歯科医師が願う。
そのことの中にも、このような事実が潜んでいることを、我々は考える必要があると同時に、いやそれ以上に、人間が傲慢にならないためにもとても大切な事実だと思います。

そう言いつつ、「美味い」と言いながら食べる自分がいるという矛盾を生きるのが人間であるとすれば、その矛盾を自覚し続けることだけが傲慢への道を歩まないことではないかと考えます。」

 

歯科医師の世界では、手技的な話題、保険点数のアップの話題ばかりがクローズアップされますが、真の歯科医師の使命が何であるかがおざなりになっている風潮があります。
その顛末が、昨今の歯科医師の不祥事や大型倒産の話題と無関係ではないのでは、と思わずにいられません。

その意味でも大久保先生の言葉を、我々自身が反省の意味を込めて熟読(まさに咀嚼)すべきでは、と
自分も含めて考えさせられた文章でした。

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